令和4年6月19日(日)、北九州市小倉北区城内の文学碑前にて『第60回 森鷗外を偲ぶ会』が行われました。森鷗外は明治32年(1899)6月19日、旧陸軍第12師団の軍医部長として小倉に赴任しました。現在の小倉北区鍛冶町や京町で約2年10ヶ月間暮らし、アンデルセンの「即興詩人」などを翻訳。帰京後に小倉を舞台にした「鶏」「二人の友」などを執筆しました。 本校の卒業生で小説家の劉寒吉先生は、鷗外が小倉で過ごしたことは北九州の文学に多大な影響を与える出来事であり、これを次世代に語り継いでいかなければならないと、鷗外の生誕100年にあたる昭和37年(1962)に当時の小倉市長ら有志と記念碑を建て、偲ぶ会を始めました。 偲ぶ会は、鷗外の赴任日に合わせて北九州森鷗外記念会が主催し、毎年行われており今年で60回目、鷗外の生誕160年となります。 劉寒吉先生の母校である小倉商業高校の在校生と職員も、偉大なる先輩の思いを受け継ぎ、偲ぶ会に毎年出席し、本校放送部生徒による『小倉日記』や『鶏』などの朗読・本校吹奏楽部の生徒と出席者一同による『紫川の歌』斉唱・記念碑への献花を行っています。今回は本校吹奏楽部の生徒が編曲した『紫川の歌』の演奏もあわせて披露されました。『紫川の歌』は、劉寒吉先生作詞、中林清治先生(元本校職員)作曲であり、小倉の母なる川である紫川を清らかにという地元の人々の思いが込められています。その思いと共に、昭和59年(1984)から本校生徒が代々歌い継いでいます。
『紫川の歌』 楽譜紹介
本校ゆかりの歌「紫川の歌」です。楽譜をクリックすると音源(生徒の歌声入り)が流れます。
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『第60回 森鷗外を偲ぶ会』の一場面
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