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2018年6月19日
『森鷗外を偲ぶ会』に、本校生徒出席
平成30年6月19日(火)、北九州市小倉北区城内の文学碑前にて『第56回 森鴎外を偲ぶ会』が行われました。森鴎外は明治32年(1899)6月19日、旧陸軍第12師団の軍医部長として小倉に赴任しました。現在の小倉北区鍛冶町や京町で約2年10か月間暮らし、アンデルセンの「即興詩人」などを翻訳。帰京後に小倉を舞台にした「鶏」「二人の友」などを執筆しました。
本校の卒業生で小説家の劉寒吉先生は、鴎外が小倉で過ごしたことは北九州の文学に多大な影響を与える出来事でありました。これを次世代に語り継いで行かなければならないと、鴎外の生誕100年にあたる昭和37年(1962)に当時の小倉市長ら有志と記念碑を建て、偲ぶ会を初めました。
偲ぶ会は、鴎外の赴任日に合わせて北九州森鴎外記念会が主催し、毎年行われており今年で56回目となります。劉寒吉先生の母校である小倉商業高校の在校生と職員も、偉大なる先輩の思いを受け継ぎ、偲ぶ会に毎年出席し、『小倉日記』や『鶏』などの朗読・『紫川の歌』斉唱・記念碑への献花を行っています。今回は、市の広場整備に伴い移転した文学碑の除幕式にも出席しました。『紫川の歌』は、劉寒吉先生作詞、中林清治先生(元本校職員)作曲であり、小倉の母なる川である紫川を清らかにという地元の人々の思いが込められています。その思いと共に、昭和59年(1984)から本校生徒が代々歌い継いでいます。
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